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ゆら×ゆら「世にも奇妙な異世界レストラン」事件
【異常な食欲に取り憑かれた客が現れる】
胃の底に熱した石が押し付けられていて、内側から無残に焼き溶かされている。そのくらいの苦痛。穴が空くほど痛かった。
――砂漠は広い。
見渡す限りの砂一色は、海のように自分の希望を飲み込んでいく。
全身の骨がすり減っていて軋む。飢えと乾きのあまり、いよいよ汗まで出なくなって久しい。皮膚全面が火傷しているようだった。
もう何日歩いた?
あと何日歩けば果てがある?
何千回とその問いを繰り返した果てに、ふと気付いてしまう。
ああ――自分は、生き残れないのか。
無くした右足がひどく痛む。惨めすぎて泣けてきた。この弱々しく軋む杖が折れれば、自分はもう歩くこともできないのだ。体はとうに死にかけている。こんな有様で、これから何日も歩き続けて生きた街にたどり着けるなんて楽観が過ぎるだろう。
自分は、ここで、この砂しかない殺風景な世界で枯れた骸骨になるのだ。ならば、これ以上前に進むことに一体どれほどの意味があるのか。
ただ苦しむだけだ。
いいかげん、休みたい。
これが最後になってもいいから休みたい。
目の前に、砂の丘が立ちふさがっていた。そうだ、あれを超えたら休もう。運が良ければ岩陰くらいはあるのかも知れない。あの丘を、越えたらーー
「………は?」
丘の頂上に立った途端、不思議なものを発見する。それは、異国の建造物だった。大きな窓。三角の屋根。シックなレンガ。こんな砂漠の真ん中に、不自然にぽつんと置き去りにされている。
看板には、「fumyu《フミュー》」と書かれていた。
まさか。
まさかまさか。
窓ガラスが反射していて中は見えないが、水がある? 人がいる? 杖をつきながらおぼつかない足で玄関に歩み寄り、取り憑かれたように手をかける
ひんやりとしたドアの感触。
倒れこむように開かれる。
涼やかな風が全身を撫でつけ、そして自分が見た光景はーーー
+
【行き倒れ寸前の冒険者が入ってきてすぐに倒れる】
倒れこむように、レストランに入店した。否、実際玄関マットに倒れ込んだ。
「う……くぅ……!」
ごぎゅるるるるる、とすさまじいモンスターの鳴き声が腹から鳴る。即ち空腹。即ち飢餓。即ち、瀕死の虫呼吸。
「だ、大丈夫ですか!?」
ぱたぱたぱた、と女の子が駆けてくる。煙突のようなコック帽をかぶっていた。小柄な、おかっぱのおとなしそうな風貌の少女シェフ。その顔が切羽詰まっていたので、僕は慌てて声を紡ぐ。
「あ……ああ、大丈夫……英雄はこれくらいでは死なないし」
「え、英雄? どこか頭でも打ったんですか?」
頭がぐるぐるしている。声は渇いた木板をこすり合わせたようになっていた。
「いや、少々、砂漠を飲まず食わずで四日間ほど歩いてきただけさ。水、ある?」
「ふみゅっ!? しょ、少々お待ちを!」
少女がまたぱたぱたと駆けて行く。水を取りに行ってくれたようだ。頭がぐるぐるするのを堪えながら周囲を見回してみる。
けっこうな賑わい。ウェイトレスが慌ただしく行き交い、席は満席、目を向けた先では全身を包帯でぐるぐる巻きの男が無心で料理を食べていた。目が合う。実に美味そうに、ガツガツと食い続けていて喉が鳴った。
「レストラン……だよな」
こんな砂漠の真ん中に。しかし不思議だ。この建物全体から不可思議な気配を感じる。立ち上がり、腰の後ろのロングソードの位置を直しながら先のシェフを待つ。
「お待たせしました。ごめんなさい、満席なので相席でもいいですか?」
「構わないよ。なんならその辺の床でもいい」
くすりと笑われ、席に案内される。こちらはわりと本気だったのだが。砂だらけの満身創痍、四日間歩き続けたあとのボロボロの姿。相席相手に迷惑でないことを祈ろう。
おかっぱのシェフの後ろ姿。耳が長い? ほどなくして、窓際の席に辿り着いたのだった。
「こちらです。すぐメニューをお持ちしますね」
案内された席には、同世代くらいの少年が腰掛けてコーヒーをすすっていた。不思議な服装。着崩したそれは、よく見れば遠い国の学生服に似ている気がした。
「すまない、君。こんな汚い格好の人間と相席させてしまって。不快ならシェフに言って他を当たらせてもらう」
「――いや、全然。もう見慣れたもんだしさ」
「見慣れた?」
不思議なことを言う少年。どういう意味だったのだろう?
「まあ座ってよ。立ち話もなんだし」
「では失礼するよ。相席、受けてくれてありがとう」
「こちらこそ。キミみたいな腕の立つやつが相席相手だと、いろいろと都合がよくってさ」
「?」
本当に、不思議なことを言う。冗談で言っているのか本気で言っているのか。その澄んだ瞳の奥は底が知れない。
「……腕の、立つ? 何かこのレストランに問題でも?」
「そんなところ。ところでひとつ、始めに確認しておきたいんだけど――」
真っ直ぐに、問いかけられる。軽薄そうに見えるが、少年の瞳の奥には何か言いようのないものが秘められている気がした。
こうして僕は、この異世界レストランの窓際の席にて、不敵に笑う掴みどころのない少年……
「――――ねぇキミ。“呪い”って、信じる?」
『星野優斗』と出会った。
ゆら×ゆら
「世にも奇妙な異世界レストラン」事件
ぼんやりと、厨房で料理するおかっぱのシェフを眺める。小柄ではあるが、耳が長く、よく見れば美しい顔立ちをしている。エルフ族なのだろう。一生懸命に料理をする姿は、どこか生き生きとしているように見える。
目の前の皿にはパスタ。牛肉の風味が効いたこのパスタが格別美味く、死に体だった全身が蘇生していくのを感じた。治療魔法でも掛かっているのだろうか?
「ーーしかし不思議なレストランだな。砂漠の真ん中にあるなんて」
フォークを手にしたまま、考える。特殊なガラスなのか光の反射なのか、窓の外の風景は見えない。そこで目の前の相席の少年が異論を唱えた。
「砂漠? 俺は町なかに見つけて入ったんだけど」
「なんだって?」
町なかにあるレストラン? そんなバカな。
「……どこの、町かな」
「普通にうちの地元。学校から歩いて十分くらい」
「僕は砂漠を歩いて四日目にようやく辿り着いたんだけど」
「へぇ。そりゃ不思議だね。うちの地元に砂漠があるなんて初耳だ。砂丘じゃなくて?」
「…………」
話が――いや、立地が噛み合っていない。
学校、ということは少年は王都か、それに匹敵するくらい栄えた街の住人ということになる。その街のそばに砂漠があった可能性はあるけれど、少年の口ぶりからすると、近くに砂漠なんてなかったという風だ。何よりも。
「……おかしいな。僕が見渡す限り、町なんてまったくなかった」
「だろうね。俺も知る限り、生活圏に砂漠なんてありえない」
考えてもみれば、こんな砂漠の真ん中にレストランがあり、満席というのもおかしな話だ。みんな僕と同じように何日も砂漠を渡り歩いて来たということになる。食い違う立地。ならば、原因は他にある。
「…………」
魔力を込めて、目を見開く。血流が上がるような温度の上昇。赤色の視界。壁に流れる、不可思議な流れを視認する。
「――なるほどね」
レストラン全体を覆う不思議な力。砂漠から入店した僕と、町から入店した少年。何故か退屈そうに紙を折っている少年の目の前に、僕は結論を提示する。
「つまりーー僕たちは、同じレストランに”違う入口”から入った、ということか」
「そうなるね。おかしな話だけど」
二つの入口。一つの玄関。この状況を喩えるため、僕はパスタの皿の周囲に、塩の小瓶と胡椒の小瓶を置いた。
「確認だけど……僕はあの玄関から入ってきた。キミも同じあの玄関から入った、ということで間違いないかい?」
「ああ、同じドアから入ったよ。本当におかしな話だけど」
「そうーーならつまりこういうことだ」
塩の小瓶に向け、フォークの道筋を作る。玄関が塩の小瓶の状態。その皿をぐるりと回し、フォークの先端を胡椒の小瓶へと向けた。
「皿の上のパスターーつまり、店内の様子は変わらない。けれど、向き先が塩の小瓶から胡椒の小瓶に変わった状態だ」
「へぇ。つまり?」
試すように。言わせるように、少年がニヤリと笑う。僕はその挑戦的な目にまっすぐ応えることにした。
「ーーーこのレストランは、複数の場所につながっている。」
空間を捻じ曲げるなんて、にわかに信じがたい話ではあるけれど。それは砂漠であり、街であり、きっと別の場所にも。どこにでも現れる妖精郷の類の逸話は、昔からある。そこで少年が軽薄に笑った。
「なるほどね。あの玄関はどこでもドアなわけか」
「どこでもドア?」
「こっちの国の話ーーあるいはこっちの『世界』の話、って可能性もあるのかな」
世界、と少年は口にした。その可能性はあるだろう。僕も、少年の服装には違和感がある。このレストランの客たちも同じ。真っ黒い豪奢なドレスの少女に、極東のキモノ、ガツガツと食い続ける全身包帯ぐるぐる巻きの男にフランスパンを手にして大口を開けた片ピアスの少年。てんでバラバラの服装。周囲を見回しながら、僕は告げた。
「そうか……みんな異文化の人たちだ。異世界、と言ってもいい。このレストランは、あちこちの異世界に繋がっているんだ」
「――――」
ぽろり、と少年が手の中の折り紙を落とした。呆然と僕を見ている。余談だが、器用にも紙一枚で鋭利なカタチの鳥のようなものを象っていたらしい。少年は紙の鳥を拾い上げ、髪をかき上げて言ってくる。
「すごいね。あっさり受け入れるのか、それ」
心底感心されたようだった。まぁ、と僕は過去の経験則を語る。窓ガラスには、僕自身の顔が映し出されている。金髪に、姉によく似た柔和な顔。昔はよく馬鹿にされたものだが。
「僕も、それなりに旅して来ているからね。異世界のひとつやふたつ、初めてじゃない」
「冗談、と切って捨てたいところだけど。本当なんだろうね。この状況からすると」
「初めて経験すると、キミのような感想になるだろうね。僕も初めて影しかいない暗い世界に放り出された時は死ぬかと思ったよ」
――もっとも、その暗い世界でこそ僕の、何の取り柄にもならないと思っていた魔法は開花したわけだけれど。
物質に対する冒涜。生命無機物を問わず、物質であれば何であろうと摩耗させ自壊させる僕の魔法は、有形に対する干渉手段を持たない無形たちの世界では完全な異物だった――と、その話はいまは関係がない。
「ひとつだけ言えることはーー」
少年の目を真っ直ぐに見る。不思議な、底のない透き通った輝きを宿した瞳。
「ーーこの、異世界を跨ぐ出会いが、非常に貴重な経験だっていうことだろうね」
友好的に話せる相手に出会えた。幸運なことだ。
「僕はリュートだ。これも縁だろう。差し支えなければ、名前を教えてくれないかい?」
「優斗だ。名前の響きが似てるよね」
少年が、恭しく右手を差し出してきた。
「|ハジメマシテ《・・・・・・》、よろしくリュート」
いつでも軽薄に笑んでいる。でもその表情に、どこか淋しそうな色合いが混じっていた意味に僕はまだ気付かない。
+
【対立種族の肉を売る商人が現れる】
「!」
突如、雷鳴のような音がレストランを震わせた。地響きが鳴る。目を向けると、すでに惨事が起こっていた。
「なんだ……!?」
レストランの玄関が大破し、ぽっかりと穴が開けられていた。吹き飛ばされたらしく、鉄製の扉が酒樽を破壊して鎮座している。重々しい足音を立てて現れたのは、巨人だった。
「よう、ここが異世界レストランってやつか。探したぜぇ……!」
重厚な全身鎧甲冑に身を包んだ、緑色の肌の巨人。逆三角を形どる体型は筋肉に覆われ、その肩に八角形の金棒を担いでいる。頭部には小さな角が生えていた。
「な、何なんですか! いきなりドアを破壊するなんて……!」
「うるせぇッ!!」
ぱたぱたと駆けてきたおかっぱのシェフが、一喝される。その声量にレストラン全体が静まり返る。
「ようシェフ。あんたが料理長か? 俺はよ、どうしてもあんたに調理してもらいたいもんがあって来たわけだが――おいお前ら! 材料を運び込め!」
「へい!」
ガラガラと、台車で運び込まれたのは――肉? それも大量に、何体も獣を解体したような山積みの生肉だった。食事中の店内に、濃い血の匂いが立ち込める。
「肉……私に肉料理を作れと?」
「おお、そういうことよ。あんたの腕は最高と聞いた。やってくれるよな、もちろん」
「――確認しますが、」
少女シェフが、厳しい目をして台車の肉を睨む。
「それは何の肉ですか? そんな獣は見たことがありませんが」
「ドワーフの肉だ」
――嘔吐感が、僕の喉を締め上げた。脳髄を内から鐘のように叩き上げられ、視界が回る。僕はテーブルに手をついて、周囲を見回した。血まみれの台車。あの緑色の肌の男は、ドワーフの肉だと言った。レストラン内の何割かの客の間に、悲鳴と恐慌が広がる。様子を察したのか、優斗が僕に聞いてくる。
「なぁリュート、ドワーフってのは……?」
「ドワーフは、言葉を話す亜人だ」
「亜人?」
「つまり人間に近しいものだ」
ギリ、と優斗も奥歯を噛んだ。緑色の大男を睨みつけて唸る。
「……殺人鬼じゃないか。冗談だろ……」
客たちが見守る中で、シェフと大男との会話が続く。
「料理して食わせろ。俺たちは勝者だ。こいつらを骨まで喰らい尽くす権利がある」
「誰が――そんな、見せしめのための料理なんて……っ! おぞましい!」
「できねぇってんならこの店は潰すぜ。抵抗は許さねぇ。こんなチンケな店、俺たち三人で十分もありゃぺしゃんこにしてやれる」
そうだ、とっとと作れ。巨人の背後に控える二人の兵が野次を投げる。侮辱にも耐え、少女シェフはエプロンを握りしめ、決然と言ってみせた。
「――――お断りします。あなたたちのような人に出す料理はありません。お引き取りください」
その懸命な姿に、真っ直ぐな眼差しに、巨人が目を細める。そこには間違いなく、嗜虐の喜びがあった。
「よく言った。じゃあ店じまいだ」
「!」
少女の意思を、蹂躙できる悦びが。思うがままに暴力を振るう強者の驕りが。振り上げられた金棒。少女に防ぐ術はない。ならばもう、僕のやることは決まりきっていた。
「させるか――ッ!」
「!?」
凄まじい重量が僕の腕を突き抜け、肩から抜けて宙に散る。背骨まで響いた。
「なんだぁ、てめぇ!?」
気が付けば僕は、抜き放った剣で金棒の一撃を受け止め、少女シェフを背後に庇っているのだった。
「潰されてぇか!」
「下がって! 早く!」
「…………っ!」
少女シェフは尻もちをついたまま、恐怖に引きつった表情で首を横に振る。動けないらしい。その背後に、支え起こすように優斗がいた。
「大丈夫? よく啖呵切ったね、いやすごいすごい。俺なら無理だなぁ」
少女を立ち上がらせ、後退してく。それを見咎めて巨人が片眉を吊り上げた。
「てめぇら! 逃がすな!」
背後の二人の兵士――同じく緑色の肌のオーガが駆け出す。その手には、同じような金棒があった。
「く――!」
ざきん、僕の剣と巨人の金棒が残響を引いて離れる。間合いが開いた。
「優斗!」
「はいよ任された」
シェフを庇う優斗の手には、木剣があった。戦える? 二人の兵士を任せてもいいのだろうか。
「任されるけどさぁ、リュート。飛び出す前に一秒くらいは迷おうね」
「迷わない。人を助けるのに迷ってたら誰も救えないから」
破砕音。前方、巨人が金棒で床を叩き割ってみせた。
「おう、正義漢気取りか? 若いねぇ、血気盛んだねぇ、愚かだねぇ、昔を思い出すねぇ」
肩に担ぎ上げられる、重々しい金棒。対してこちらは前に構えたロングソード、腰に短剣がいくつか、そして鉛球の入った小袋がひとつ。男は、粗野な笑みで僕の挑戦を笑う。
「くくく……弱者が」
「あなたが誰かは知らない。でも僕はシェフに助けられたんだ。だからこのレストランでの狼藉は許さない」
「ほう。どんな恩だ? 言ってみろ。それ以上の額で買収してやる」
金棒を構え、男は心にも無いことを言う。僕も剣を低く構え、じりじりと距離を詰めながら言い返す。
「砂漠で死にかけた果てに、水を一杯。これ以上の恩はない」
「そうかい。そいつぁ大した恩だ。俺には支払えそうもねぇ、な――ッ!」
「!」
リーチを活かし、突き出されてくる金棒の一撃。凄まじく長く遠い一撃。踏み込む余地もなく、僕はまた真正面で受け止めて後退させられる。
「く……!」
その一撃だけで、腕が痺れる。何度も受ければ骨が折れそうだ。僕を笑い、男は勝ち誇るように声を上げた。
「俺は強者だ。名前なんて聞くなよ。本物の戦場に名乗り合いなんてない。お前らの流儀なんざ丸めて飲み込むのが現実だ。だから名誉も恥もなく、砂粒のひとつとして死ね」
必死で目を凝らす。巨躯のわりに凄まじい身のこなし。大上段振り上げ、吹き出す殺気だけで圧殺されそうになる――!
「あぁぁああッ!」
「!」
その超重量の一撃を、剣で受け流し、紙一重で躱す。僕の足元を叩き割る一撃。レストランの床が跳ねた。無論、床板なんて簡単に壊れている。飛沫の中を駆け、僕は隙だらけの胸部に一撃を――!
「なっ!?」
通らない。ニヤリと笑う緑の口元。僕のすれ違いざまの一斬は、巨人の余りに厚い重装甲に弾かれ無効化される――!
「隙だらけだアホが――ッ!」
「がはっ!?」
金棒の一撃を受け止め、僕は紙くずのように吹き飛ばされ背中から壁に激突する。
「く……」
床に膝をつき、苦痛をこらえる。ぱたぱたと頭から血が流れ落ちて床に跳ねた
―― 先の一撃。僕だって素人じゃない。普通の鎧なら叩き割れる勢いの斬撃を叩き込んだつもりだ。しかし、あの黒色に輝く厚い鎧。よほどの重装甲であるらしい。あの男は、きっと戦場でも最前線に立つタイプの兵士だろう。数多の攻撃を受け止め、弾き返すのが役目。僕程度の非力な斬撃は無効化される。
「おい立て! とっとと立たねぇと殺すぞコラ!」
「!」
豪風が後頭部に襲いくる。転がり逃げると、一瞬前座り込んでいた床が爆破されたように砕け散る。続けざま床、壁、柱と破壊されていく。僕はなんとか紙一重で逃げ続ける。ようやく距離を取り、立ち上がって剣を向ける。
「もう終わりか? あ? ちったぁ面白おかしく抵抗してくれんのか? じゃねぇとなぶり甲斐もねぇぞてめぇ!」
どうする。どうする。壁際に追い詰められながら観察する。肩、胸、頭部。顔を狙えばいいかと思っていたら、がしゃりと兜のマスクが下ろされる。喉もプレートで守られている。脚を狙う隙に僕の頭が潰される。
「くぁ――!」
床が叩き割られ、また転がり逃げる。どうする。どうすればいい? 魔法を使うには時間も間合いも足りない。発動の隙を見逃してくれる相手でないのは明白だ。かといって剣は通じない、格闘技なんてそれ以上に通じない。
「――――諦めろ」
ここに来て、大きな踏み込み、もはや受け止めようが振り払い叩き潰す巨人の一撃。
打つ手なし。
ここまでか。
自分自身に禁忌の魔法をかけようかと逡巡したその時――
「あ、そうだリュート。そいつの鎧は背中が脆いから狙ってね」
「………………は?」
背後で戦っていた優斗が、意味の分からない言葉を投げつけてくるのだった。
「――――――、」
背中が脆い? この重装甲が? そんな馬鹿な。けれどもはや僕に選択肢などなかった。
「く、ぉ――」
鬼人の一撃を、何かの間違いで掻い潜り。
「ぉぉぉおおおおぉぉおおおおああああああああぁぁ――ッ!!」
「て、っめぇぇぇぇええええええええええ――!!」
その大振り直後で隙だらけになった背中めがけて、渾身の一撃を振るう!
+
【記念メニューのレア食材探しを依頼される】
「リュート、いくよー」
「せぇ、のっ!」
玄関から、緑色の男たちを投げ捨ててドアを閉ざす。ふぅ、と久しく息をついた。鉄扉にもたれてふと気づく。
「……いつの間に玄関、直ったんだろう」
「不思議だよねー」
優斗は気楽に言う。本当に不思議なレストランだ。
「二人とも、本当にありがとうございました」
少女シェフがペコリと頭を下げてくる。ふ、と優斗が不敵に笑ってシェフにピンクのバラを差し出した。それ花瓶に飾ってあったやつだろう。
「お礼なんていらないよ。キミと結婚さえできれば」
「け……?」
「彼氏いる? いない? いないか、それはもう付き合うしかないね。だって運命の出会いだし」
「う……運命」
「ところで新婚旅行はどこに行きたい? パリ? ニューヨーク? モルディブ? あるいは意表を突いて紀伊半島?」
「し……新婚旅行……キー半島…………?」
シェフが気圧されている。いま気付いたけれど、優斗はけっこうおしゃべりなやつだったらしい。
「優斗、冗談はよさないか。彼女が困ってるだろう」
「む――そう。困らせるのはよくないね」
ぽい、と花を投げ捨てる。奇跡のように花瓶に収まった。優斗はあっさりと背を向け、シェフに手を振るのだった。
「ところでチョコパフェ追加お願いね。あこに写真貼ってる、記念メニューの超ゴージャスなやつ。運動したら小腹が減ったよ」
そのまま、振り返ることなく席に収まった。困ったやつだ。シェフがまだ戸惑っている。
「……えと」
「気にしないほうがいいよ。それより、僕もチョコパフェ追加お願いしたい」
「あ――それはもう。さっきのお礼に、ご馳走しますね」
「むむ――」
そんな、催促したつもりはなかったのだけど。
「いや、いいよ。自分で払うから」
「そんな。助けていただいたのにお礼もできないのは困ります」
「大丈夫。英雄はあれくらい普通だし」
「英雄?」
「…………」
英雄になりたい。
そんな、つたない理想を語る場でもないだろう。
「なんでもない。じゃあ分かった。それで気が済むっていうなら、ありがたくいただくよ」
「はいっ! しばしお待ちを。……ちょっと、食材が足りないのでお使いを出しますね。少々レアですが、すぐに取ってこれると思います」
「…………」
ぱたぱたぱた、と慌ただしく去っていく。
「まじめだなぁ」
一生懸命とも言う。
+
【家出中の姫がウエイトレスのアルバイトに応募】
「――ところで、優斗。ひとつ聞きたいのだけど」
「なんだい」
優斗は気だるそうにパフェを食べている。その鼻先に向けて、僕は指摘する。
「妙じゃないか。さっきのは一体、どういうことなんだ」
「ああ、緑色のやつ? 確かにヘンな見た目だよなー」
相変わらずとぼけた少年。しかし誤魔化されない。
「そうじゃない。キミは、あの時『そいつの鎧は背中が脆い』と言った。おかげで僕は、勝てたわけだけど」
「そだね。俺のおかげだね。感謝する? 支払いは現金払いだけ受け付けるよ」
誤魔化す気があるのかないのか、気だるそうに笑っている。
「何故知っていた? あの男と知り合いだったのか?」
「まさか。あんなナメック星人みたいなお友達いないよ。冗談じゃない」
「では何故?」
――何かの魔法か、能力の類だろうか。しかし、適確に鎧の弱点を見抜き、突破口を見出す魔法なんて見当もつかない。
「…………そうだね。少しだけ本当のことを話そうか」
どこか遠くを見ていた優斗の、目が。初めて真っ直ぐに僕を見返した気がする。続く言葉はまたしても、謎めいていたけれど。
「――忘れてるかも知れないけど、俺にそれを教えてくれたのは、リュートなんだよ」
「僕が?」
僕が、優斗に教えた。
あの鎧甲冑の弱点を?
……ザザ、と脳裏によぎる光景。窮地に陥った僕が、優斗と二人、血を流しながら苦戦する。最後の最後、僕があの鎧甲冑の背中に繋がれた魔法の糸を引く。爆破。そんな――
「…………あれ」
目眩がした。なんだろう、いまの映像。まるで夢でも見たような。目の前には変わらず、優斗が座ってパフェを食べている。
「――何を言ってる、優斗。僕はキミにそんなことを教えていないし、第一あの鎧甲冑の弱点が背中だとも気付かなかった」
「…………そう。それは残念だ」
残念だ、と優斗は口にした。その、テーブルの面を見つめる瞳にまた淋しそうな色合いが混じっていた気がする。
「――実は、ちょっとした“事情”があってね。リュートにも、きっとそのうち分かるんだと思う」
「事情……」
「お、見て見てリュート。シェフの方」
言われて、振り向いた先。フードをすっぽり被った少女が何か、先の少女シェフと二人、テーブルで向き合って話している。この角度からなら、フードの少女の青い宝石のような瞳まで見える。
「えらく可愛い子だね。芸能人かな?」
「……確かに。どう見ても高貴な身分の人だ」
輝くように美しい、金の髪と青い瞳の色彩。面接でもしているのだろうか。とつとつと話す仕草まで、隠しようのない気品が滲み出ている。
「って、そうじゃなくて。さっきの事情というのは一体……」
「――――え」
ぴた、と優斗が何故か動きを停止する。
「……おや?」
なんだろう? どこからか、おかしな音が聞こえる。甲高い悲鳴のような音。聞いたこともないような不穏な音と、馬車が迫るような地響き。ちょうど、僕と優斗が座る窓の外。何か、すっぽりと影に覆われて――
「まずい――逃げろ、リュートッ!」
「!?」
雷鳴。スローモーションの視界の中で、突然、外から壁が押し曲げられる。破城槌のような一撃。壁を突き破って現れたそれはテーブルを破壊し――見えたのはそこまでだった。
どうにも、横からの衝撃になぎ飛ばされたらしい。いろんなものが宙に浮いている。どこが上でどこが下かも分からないままに、僕の意識はぷっつりと途切れた。
【高齢者マークのついたプリウスが突っ込んでくる】
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【異常な食欲に取り憑かれた客が現れる】
――また、砂漠を彷徨っている。
胃の中はカラ。底に熱した石を押し付けられているように、穴の空くような激痛に苛まれている。
砂漠は広い。見渡す限りの砂一色は、海のように自分の希望を飲み込んでいく。
空を見上げれば、どこまでも、嫌になるくらいに青い。忌々しい太陽が視界を眩ませる。ゆらゆらと揺れる蜃気楼。足元を泳いでいく、影で出来たワニの幻覚。喰らいたい。なんでもいいから喰らいつきたい、という渇望が、いつからか貪欲なワニの幻覚となって脳内を泳ぎ初めていた。
ああ――
失った足が痛む。このままどこにも辿り着けずに終わるのだろうか。杖が軋んでいる。あとどのくらいもつのだろう。片足の自分は、この杖を失ってしまえばもう歩くこともままならない。
片脚というのは不便なものだ。
例えばもし、自分が鉄の剣を持っていたとしても、片脚では構えることさえままならない。自分の体重と、その重みを支えるだけで精一杯だろう。もう死ぬまで喧嘩なんてできない。強盗なんかに襲われれば、為すすべもなく殺されるだけだ。本当に、片脚というのは――
「――――――…………」
顔を上げる。目の前に、砂の丘が立ちふさがっていた。そうだ、あれを超えたら休もう。運が良ければ岩陰くらいはあるのかも知れない。あの丘を、越えたらーー
「………は?」
丘の頂上に立った途端、不思議なものを発見する。それは、異国の建造物だった。大きな窓。三角の屋根。シックなレンガ。こんな砂漠の真ん中に、不自然にぽつんと置き去りにされている。
看板には、「fumyu《フミュー》」と書かれていた。
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【行き倒れ寸前の冒険者が入ってきてすぐに倒れる】
倒れこむように、レストランに入店した。否、実際玄関マットに倒れ込んだ。
「…………」
床に倒れている。柔らかいマットの感触。信じられない心地で、自分の手のひらを確かめた。
「だ、大丈夫ですか!?」
ぱたぱたぱた、と女の子が駆けてくる。煙突のようなコック帽をかぶっていた。小柄な、おかっぱのおとなしそうな風貌の少女シェフ。その見覚えのある顔を、僕は凝視することしか出来なかった。
「あの……意識はありますか?」
目の前で手を振られる。
「あ――ああ、大丈夫。英雄はこれくらいでは驚かないし」
「え、英雄? どこか頭でも打ったんですか?」
視界がぐらぐらと揺れている。僕は、たちの悪い夢でも見ているのだろうか? 不審に思われないように言葉を繕った。
「いや、少々、砂漠を飲まず食わずで四日間ほど歩いてきただけさ。水、ある?」
「ふみゅっ!? しょ、少々お待ちを!」
少女がまたぱたぱたと駆けて行く。水を取りに行ってくれたのだと知っている。ずきずきと頭が痛むのを堪えながら周囲を見回してみる。
けっこうな賑わい。ウェイトレスが慌ただしく行き交い、席は満席、目を向けた先では全身を包帯でぐるぐる巻きの男が無心で料理を食べていた。実に美味そうに、ガツガツと食い続けている。目が合っても構わず、ガツガツガツと食い続けている。いつまでもいつまでも、繰り返し映像のように食い続けている。
「お待たせしました。ごめんなさい、満席なので相席でもいいですか?」
「ああ、構わない。できれば窓際の席がいい」
見覚えのあるウェイトレスの背中に連れられながら、自分の脳裏に残っている記憶を確認する。
緑色の兵士たちがレストランに乗り込んでくる。
対立種族――ドワーフの肉を調理して食わせろと言ってきて、それに、僕と、もう一人誰かが立ち向かう。
鎧甲冑の弱点は背中。言われたとおり、あっさりと倒すことができた。
そのあとだ。
壁を突き破って現れた、鉄の塊。僕と相席相手を吹き飛ばし――そこで記憶はぷっつりと途切れている。
「こちらです。すぐメニューをお持ちしますね」
案内された席には、同世代くらいの少年が腰掛けてコーヒーをすすっていた。見覚えのある服装。着崩したそれは、よく見れば遠い国の学生服に似ている気がした。
「…………」
本当に、知っている光景と何も変わらない。シナリオに乗っかるように、僕は記憶をたどってセリフを再現する。
「すまない、君。こんな汚い格好の人間と相席させてしまって。不快ならシェフに言って他を当たらせてもらう」
「――いや、全然。もう見慣れたもんだしさ」
「…………」
見慣れたもんだ――そう言った。
不思議なことを言う少年。あの時は、そんな風に思ったものだった。
「まあ座ってよ。立ち話もなんだし」
「では失礼するよ。相席、受けてくれてありがとう」
「こちらこそ。キミみたいな腕の立つやつが相席相手だと、いろいろと都合がよくってさ」
そうだ。彼は、初めの時もそう言っていた。その時はまるで意味が分からなかったけれど。
「……なるほどね。そういう意味だったのか」
「ところでひとつ、始めに確認しておきたいんだけど――」
真っ直ぐに、問いかけられる。軽薄そうに見えるが、少年の瞳の奥には何か言いようのないものが秘められている気がした。
異世界レストランの窓際の席にて。
「――――ねぇキミ。“呪い”って、信じる?」
不敵に笑う少年が、そう、再現のように口にした。
それはきっと合言葉だったのだろう。
そうだ、彼は初めに確認していたんだ。なら今度は僕が示す番だろう。
「ああ――信じるよ。まるで呪われているみたいだ」
「へぇ。その様子じゃついに気付いたみたいだね、|リュート《・・・・》」
名乗ったはずなんてないのに、彼は僕の名前を知っている。僕も、彼の名前を知っていた。
「どういうことなんだ、|優斗《・・》。一体何が起きている」
席に座る。寸分の狂いもなく同じ景色。優斗が頼んだ飲みかけのコーヒーも、メニューの配置も他の客も同じ。テーブルは、あの時壊れたはずなのにもとに戻っていた。
すべて再現。
すべてが同じ。
ただひとつ、目の前の少年だけが違う言葉を口にする。かちゃん、とコーヒーを置いて優斗が笑った。安心したように伸びをした。
「はぁぁ~……ようやくだ。ようやくリュートも気付いてくれたんだね。長かったよ本当。俺一人では解決できそうもないからさ。ずっとやり過ごしながら待ってたんだ」
もう、問うまでもない。
問うまでもないけれど、僕は問わずにはいられなかった。
「まさかとは思うけど……」
「そういうコト。|このレストランは繰り返している《・・・・・・・・・・・・・・・》」
ニヤリ、と笑う優斗。
繰り返す異世界レストラン。
不可思議な力の流れが、レストラン全体を包み込んでいた。
【?????????????????】
+
優斗曰く、このレストランで起こっている事象はこうだ。
・それぞれの客が別々の世界からこのレストランに辿り着く。
・気が付けば、時間を巻き戻したようにレストランに入店する瞬間に引き戻されている。
・まるでタイムラインが決められているように、同じような出来事が何度も繰り返し起こる。
・けれど出来事には差異があって、場合によっては人物さえも入れ替わっていることがある。
・閉店時間まで辿り着けることはない。必ずタイムラインのどこかで大きな事件が起こって、入店する瞬間に引き戻されてしまう。
「……で、俺以外は誰も繰り返しに気付いてくれない。覚えてもない。最初は夢でも見てるのかと笑ってたんだけど、何度も繰り返すうちにさすがにやばいと思ったわけさ」
窓際の光が差し込む席で、軽そうに語る優斗を見ている。だがその口ぶりとは裏腹に、語られている内容は恐ろしいものだった。
「終わりがないんだ。そして誰も覚えてない。もしかして、この繰り返しは永遠に続くんじゃないか――って気付いた時は慌てたもんさ」
やれやれ、なんて笑っている。その表情は、少し疲れているように見えた。
「そうか……だから、あの時」
「ああ。緑色の鎧の弱点が背中だって知ってたわけ。言っただろ? 教えてくれたのはリュートなんだ、って」
背中が脆い。覚えてはいなけれど、前回か前々回の繰り返しで、僕がその弱点に気付いてオーガ兵を倒したのだろう。
「あの時はひどかった。だって弱点を知らないからね。――白状するとさ。俺たち二人、何度かあの緑色たちに殺されてると思う。俺も、そこまでは覚えてないんだけど」
ザザ、と脳裏をよぎる映像がある。立てなくなった僕の前に、優斗の背中が守るように立ちふさがっている気がした。変わらず不敵に笑っているけれど、僕も彼も血まみれ。その向こうで、無慈悲に金棒を振り上げる巨人……そんな、白昼夢。
「――悪かった、優斗。キミだけにそんなものを背負わせてしまって」
「いいっていいって。こうしてリュートも気付いてくれたんだ。ここからは、二人でこの繰り返しに抗うことができる。――本当に、よかったよ。まずは第一関門クリアだ」
平気そうに笑う。明るい少年だった。逆の立場だったなら、僕はそんな風に笑えていただろうか?
「……でも、どうして優斗だけが覚えていたんだろう? 僕はいまのいままでまるで気付かなかった」
「さぁね。そもそもどうして繰り返しているのか、って原因と関係があるのかも知れない。原因は何だと思う? 俺は何かしらの呪いが絡んでいるんだと思う」
「呪い、か……可能性はあるね」
負の怨念。魔法に似た、邪悪な力。人の感情から生まれるそれは、執念深くて非常にたちの悪いものだ。
「でも、誰が? どうしてこんな繰り返しを?」
「そこが分からないんだよねぇ……俺的に、そこが一番重要なんだけど」
一番重要。俺的に、の正確な意味は掴めなかったが。
「確かにね。正体さえ分かれば、対処のしようもある。でも原因が分からないままではどうすることも出来ない」
「あ、そうだリュート。覚えてると思うけど」
「え?」
「そろそろだよ。ほら、耳を塞ぐ」
雷鳴と共に、玄関が破壊される。そういえばこんな出来事があった。
「……まさか」
壊れた玄関をくぐって現れたのは、重厚な全身鎧甲冑に身を包んだ緑色の肌の巨人だった。
「よう、ここが異世界レストランってやつか。探したぜぇ……!」
見覚えのある、緑色の兵士たち。どうにも本当に繰り返しているらしい。
【対立種族の肉を売る商人が現れる】
+
「おぉおるぅあああああ――ッ!」
ずどん、目の前で床を叩き割る金棒。鬼のような一撃がレストランを激震させる。巨人は緑の顔が赤く染まるくらい、怒りに震えていた。
「てめぇら、よくも……ッ!」
その背後に、すでに二人の兵士が倒れている。先制攻撃のたまものだ。状況がすでに分かっている以上、僕は戦況判断に迷いなど持たない。
「ナイス判断だったねリュート。先に弱い二人を仕留めるってのはいい案だった」
「ああ。相手の出方が分かっているなら効率を重視すべきだ」
戦闘開始直後、優斗と同時に背後からの不意打ちで二人の兵をそれぞれ撃破。これにて二対一の優位な戦況が完成する。
「てめぇら……分かってるんだろうなぁ、自分が何をやっているのか」
残った一人は、怒り心頭といった様子ではあるけれど。
「もう許さねぇ! お前らまとめて、ぺしゃんこにして絨毯にしてやるぜ!」
どん、どん、どんと床を揺らして迫りくる。次手もすでに確定していた。
「優斗! すまない、一瞬だけ時間を稼いでくれ!」
「了解! でも一瞬だけな! それ以上は、もたない――ぜっ!」
優斗が正面切って飛び込み、落石じみた金棒の振り下ろしをくるりと回避する。回転の勢いを乗せた木剣の一撃が、大男の手元に痛打を浴びせ、声を上げさせる!
「すまない――少しだけでいい」
その隙に、僕は腰の袋から銀色の球を三つ取り出し、それぞれ指の間に挟んで前に構える。
「“侵食魔法”――!」
不吉な脈動が迸る。球を掴んだ僕の右手を中心に、魔力で紡がれた複雑な魔法式が編み上げられていく。それも飛びきり悪辣で、非効率で最低な『侵食魔法』が。
「魔法使い、だと――!? ざけんな、魔法使いはとうの昔に絶滅したはずだろうがッ!!」
優斗と打ち合う大男が忌々しく叫ぶ。それがどこの異世界の話かは知らないし、魔法を使う冒険者として生きてきた僕には関係がない。
――幸いなことに、このレストランにも偉大なる魔法結界――人類に魔法の使用を許諾する『大魔法幻想』は効果を発揮しているらしい。ならば僕は、いつもどおり手慣れた|魔法《きりふだ》を行使するだけだ。
「はぁぁぁああああああ――ッ!!」
邪悪な魔法式の完成。あとは、加速させるようにどこまでも魔力を込めていく。それで、魔法式が壊れそうなほどバチバチとノイズ混じりに歪む。通常の魔法行使では有り得ない反応。紫の毒々しい輝きと荒れ狂う風が、レストランの大気を蹂躙する。びきびきびき、と指に掴んだ銀色の鉛球たちが、黒々しい稲妻の色に『侵食』されていく。臨界点は近い。ここで、魔力の壁で封じ込め『待機状態』に移行させる。
「優斗! 下がって!」
「!」
たん、と優斗が後退する。それとすれ違うように僕は、残り二つを維持しながら鉛球のひとつを投げつけた。
「なんだ、こんな鉄の球――!」
バチバチと黒々しい稲妻をまといながら、ひび割れた鉛球が空間を疾走する。僕の手から尾を引く、白く輝く魔力の糸。緑の巨人は金棒を振り上げ、打ち返そうとしてくる。だが、それは悪手だ。ガン、と金棒の表面に鉛球が衝突したその瞬間に僕は繋がった糸を引き抜く。
「な――」
耳を突く重い音に悲鳴があがる。大気が質量を持ち、すべての窓ガラスが一斉に弾け飛ぶ。赤紫の爆炎を散らして、鉛球は『炸裂』していた。無論目くらましではない。
「ぐッ……ぎゃぁぁあああああぁッ!?」
男の金棒は真ん中で歪み、衝撃波で緑の体表が裂傷を起こし、血まみれになっていた。隣まで後退してきた優斗が聞いてくる。
「……えげつね。何いまの、爆弾?」
「ただの鉛球だよ。ただし、侵食の魔法で崩壊させた」
「崩壊?」
僕の手の中にある残り二つ。これ自体は、ただの鉛玉でしかない。けれど僕の魔法を掛け合わせることで、物体の硬度が高ければ高いほど威力を発揮する武器となるのだ。
「……侵食の魔法は、それ自体は非効率な物質劣化を引き起こすだけの破壊手段なんだけどね。何かの間違いで、ある一定の魔力を流し込んで臨界状態に達すると、ああやって物質が外向きに破裂しながら崩壊することがあるんだよ。――いわば暴走、魔法の『大失敗』ってやつだ」
僕はその、魔法の『大失敗』をこそ再現する。
侵食魔法の悪用。
極めて非効率で膨大な魔力の浪費。
どうにも才能がないらしく、僕はこの歪な侵食以外の魔法は小さな灯火を作るか、電気を利用して磁石を作成するくらいのことしか出来ないのだ。
「ふ――っざけ、んなぁぁぁああああああぁぁぁッ!!」
鎧の頭部を破壊され、血まみれになった大男が迫りくる。獣のような突進。手負いの輩は単調なものだ。優斗が時間を稼いでくれたおかげで、あんな巨体と正面切って打ち合う理由ももはや無い。
「俺、リュートはいつでもにこやかで優しい金髪イケメンだと思ってたよ」
「そう? 僕はいつもこんな感じだけど」
「何、笑ってやがるてめぇらぁあああああああ――ッ!」
耳を突く不快な声。どうだっていい、なんだっていい。
「――先が控えているんだ。早く倒れてくれ。」
僕は無慈悲に、残り二つの鉛球を投擲した。
――魔力の糸を引き抜く。
二連続の強力な衝撃波が、破裂音を伴って緑の巨人を容赦なく打ち倒す。
+
【記念メニューのレア食材探しを依頼される】
誰かが、シェフとカウンター越しに話している。どうにも記念メニューの食材探しを依頼しているらしい。記念メニューはナントカキノコのボローニャ風パスタ。僕の記憶では限定ゴージャスチョコパフェだったはずだけど、今回は違っているようだ。
その向こう側に、全身包帯ぐるぐる巻きの男。相変わらずガツガツと一心に食い続けている。
その隣の席にいる黒いゴシックドレスの少女にも見覚えがある。
「……ねぇ優斗。レストランで起こる出来事は、大筋が決まっている、と言っていたね」
「そうだね。俺の覚えてる限りでは。微妙に人が入れ替わったりもしてるみたいなんだけど」
人が――入れ替わる。
「例えば、そう……緑色の兵士たち三人組。うっすらとした記憶なんだけど、あいつらの代わりに商人が来たことがあったと思う」
「商人?」
「似たような悪い顔したやつだったんだけどね。髭面の背の低いオッサンで、緑色たちの肉を売りつけにきた」
「ドワーフか。肉にされていた方の種族だ」
そういえば、あの兵士たちは自分たちを勝者だと語っていた。オーガとドワーフがどこかの異世界で争っているらしい。
「人物は微妙に変わってる。でも共通してるのは、似たような悪そうな奴らが肉を持ってやってくるってことだ」
「……なるほどね。仕組みは不明だけど、起きてることはなんとなく把握できてきた」
――と、そこで窓の外から悲鳴のような不穏な音が聞こえてくる。
「リュート!」
「分かってる! みんな、伏せて!」
僕も優斗も椅子を蹴飛ばして立ち上がり、たんっと壁から距離を取るのだった。
「!」
分かっていても、すさまじい威力。轟音を上げてテーブルが吹き飛ばされ、レストラン全体が地震のように揺れた。前回、僕の記憶が途切れている出来事だった。壁を突き破り、白い巨体がレストランへと突っ込んできたようだった。僕も優斗もしっかり躱している。同じ轍は踏まない。しかし、予想以上の威力でテーブルが宙を舞っている。危険だ。
「! 危ない――!」
「え……っ?」
テーブルが飛んでいった先。席の間を歩いていたウェイトレスが、ぽかんと見上げる。手を伸ばすが、この位置からではもう間に合わない――!
「きゃああぁぁあ――っ!?」
衝撃と共に、テーブルが床にめり込んでいた。ウェイトレスも巻き込まれたのが見えてしまった。優斗が歯噛みする。
「くそ……!」
「大丈夫か、キミ!」
ウェイトレスは倒れている。駆け寄って抱き起こすが、意識はあるようだ。しかし。
「痛……っ!」
破片がかすめたのか、膝の下あたりが切れ、だくだくと血が流れ落ちていた。少し深い。僕は騒然としている周囲に向かって叫んだ。
「誰か、早く包帯と血止めを!」
「は、はいっ!」
シェフが、ぱたぱたと店の奥へと駆けていく。ウェイトレスは痛そうに顔をしかめている。
「すまない……分かっていたはずなのに……」
「……自分を責めるのはやめよう。俺も、これは知らなかった」
優斗が僕の肩に手を置く。けれど僕は拳を握る。どうして救えない? どうしてあの人のようにうまくやれない?
「くそ……」
僕のせいだ。
僕が助けられなかった。
【高齢者マークのついたプリウスが突っ込んでくる】
+
【つまずいて転び怪我をしたウェイトレスが代理に入れ変わる】
代理で入ったウェイトレスさんは、ついさっき面接していたばかりの新人さんのようだ。金髪に青い目の、気品のある人。不慣れそうではあるが、与えられる仕事に懸命に立ち向かっている。
そしてもう一人、窓ガラスに映るウェイター。
はねた金髪をヘアピンで止め、ベストを身に着けて腕まくり。ネクタイもきっちり締めて完成。金髪の少年ウェイター、言うまでもなくこの僕だった。
「似合うねリュート。まるでベテランのようだ」
「まぁ、路銀に困って飲食店で働くこともあったからね。多少はやれると思う」
さて、と厨房に向かおうとしたら、眼の前でおかっぱの料理長が申し訳無さそうに僕を見上げていた。
「あの……本当にいいんですか? お手伝いなんて……」
「ああ、是非やらせてくれ。さっきの事故は僕が躱してしまったせいでもある。こうでもしないと気が済まないんだ」
「そうですか……では、ありがとうございます」
怪我をしたウェイトレスさんに代わって、僕と新人さんが店員に加わることにした。少し客足がまばらになったため、優斗もカウンターの一人席に移動している。テーブルに肘をついて、優斗が笑っていた。
「律儀だよね、リュートって」
「何を言ってる。当然じゃないか」
「まぁ、おかげで店側に入り込んで情報収集できるわけだけど」
確かに。
繰り返す異世界レストランの真相。ちらり、と調理に戻ったシェフの横顔を盗み見る。どうあっても彼女から情報を引き出す必要があるのは事実だ。
「よし、」
気合いを入れて、ウェイター業に精を出す。客が一組、二組。ティータイムも過ぎたためか客足はそれほど多くない。しかし、昼からずっと席についたままの客もけっこういる。
黒ドレスの少女に、その隣の包帯ぐるぐる巻きの男。相変わらずガツガツとノンストップで食べ続けている。優斗がそれに気付いて笑った。
「ありゃーかなりのフードファイターだね」
「……確かに」
「ところでまだ、ひとつだけ試してない選択肢があるんだけど」
「そうなのかい?」
優斗が、オレンジジュースのグラスを揺らしながら言ってくる。
「店を出る、って選択肢さ。もしかすると繰り返しからは脱出できるかも知れない」
「……なるほど。」
玄関を見る。何も解決しないまま、店を出てすべてを忘れる。僕は何事もなかったかのように自分の旅路に戻れるのかも知れない。
「でも優斗、それは駄目だ。店を出るならこの繰り返しを解決しないと」
「どうして?」
「誰かが取り残されてしまうかも知れない。それこそ、優斗が言っていたように永遠に。それだけは絶対に駄目だ」
「……ま。俺もそこは同意見なんだけど。分かった。解決しよう、オーケー」
優斗がずずず、とストローを鳴らす。
「そうそう、ひとつ気になってた。リュートって人助け好きだよね」
「嫌いではないね。それが何か?」
「あの緑色が来た時とか、迷わず飛び出していったでしょ? いまもそうやって当然のようにウェイターなんかやってる」
カウンターテーブルにもたれ、優斗は変わらず優雅に笑っている。ランプの光が揺れていた。
「俺の知り合いにも似たような行動する人がいるんだけど。人助けが生きがいで、幸福で、自分自身の何を犠牲にしてでも赤の他人を助けたいってひと。俺はそこまでじゃないから分からないんだけど、リュートは何を思って人を助けようとするのかな、って」
言われて考えてみる。
僕自身はそこまで聖人君子でもないが、人助けをする理由は決まっている。
「……そもそも。僕の旅の目的が、人助けに近しいからかな」
「そうなの?」
「憧れてる英雄がいてね。昔、僕はその人に命を救われたんだ。その人のようになりたくて僕は旅をしてる」
誰にだって原初はあるものだ。
行動原理となった出来事。
僕にとっては、有り触れてるけれど――命を救われた出来事がきっかけになっている。いまでも目に焼き付いている、華麗な英雄の姿。騎士たちを指揮し、それでいて自身が最前線に立ち、あっさりと巨大な魔物を倒してしまったあの勇姿。
騎士団団長。
そんな英雄に憧れて、僕は剣を取り、旅をしながら魔物と戦っている。
「……なるほどねぇ。|英雄《ヒーロー》に憧れてるわけか、リュートは」
「そういうことになる。子供っぽいって、笑われるかも知れないけどね」
話しながら、ふと気付いた。新しいお客さんが入ってくる。接客を終え、優斗の隣まで戻ってから口に出す。
「そういえば。あの玄関またいつの間にか直ってるね、壁も。」
「それを言うと、床なんて穴だらけだったはずだよね。窓ガラスも、誰かさんの鉛爆弾でぜんぶ割れたし」
「む……」
それを言われると、弱い。確かに、僕の魔法は密閉空間で使うには少々危険だ。威力があるため、効率的ではあるのだけれど。
しかし、確かに振り返ればけっこう壊れているはずだ。吹き飛んだテーブルさえもいつの間にかもとの位置に戻っているし。僕は自分の考察を口にする。
「……壊れた部分がひとりで直る。そういう風に出来てるんだろうね、このレストラン自体が」
「そもそも、あちこちの異世界に繋がってる不思議レストランだったね。そのくらいの不思議建築はあり得るか……」
優斗が、眉間を押さえる。苦しそうに唸った。
「……頭痛がする。俺の世界とあまりに常識が違いすぎて」
悩ましそうだ。めずらしく真剣な顔をしている。さすがに疲労もあるんだろう。
「ねぇリュート。ちょっと、シェフと話してみてくれないかな。この繰り返しの真相――何か、掴めるかも」
「ああ、そのつもりだ」
いつまでも繰り返し続けているわけにもいかない。接客の合間を見て、おかっぱの料理長に話しかけてみよう。
+
【乱入したモンスターを、シェフが生け捕って捌き始める】
それは非常に凶悪な顔をした魔物だった。吊り上がったサングラスのような目。カタチは魚のようだがガチガチと硬質なものに覆われている。口には牙。表面は斑。ヒレは刺々しく、なんと、空中を水のように泳いでいる。
そんな危険な魔物が厨房を泳ぐ――ただし、大きさは手のひらに乗る程度なのだが。
「はいッ!」
それを、おかっぱのシェフがはっしと捕まえ、まな板の上に押し付けた。いっそ美しいほどの包丁さばき。魚は逃げようとする。シェフは真剣な眼差しで魚を解体し、あっという間に切り身を拵えるのだった。
「ふぅ」
「おー」
僕はぱちぱちと拍手する。
「あ、ウェイターさん。見られてしまいましたか」
「その魚は?」
「どこからか迷い込んだみたいです。でもこの魚、見た目に反してとっても美味なんですよ。食べてみます?」
「いや……」
魚の顔を見る。ギロリ、と僕を睨みつけてきた。
「……遠慮するよ」
「そうですか。では、他の人のまかないにしましょうかね」
食欲が失せる。さすが魔物。率直に言って気持ち悪い魚だった。本格的にまかないを作ることにしたのか、シェフは他の料理を始める。ちょうどいい機会だ。
「シェフ。聞きたかったのだけど――このレストランは、一体何なんだ?」
「外の看板にもある通り、|fumyu《フミュー》といいます」
「いや、店の名前ではなくて」
包丁を使う手を止め、シェフが僕に顔を向ける。
「……少しイジワルを言いました。すみません。気持ち悪がらせてしまうかと思いまして」
「いや、問題ないよ。それよりも知りたいんだ。僕は砂漠からこのレストランに入った。でも、友人は町から入ったと言う。一体どうなってるんだい?」
「どこにでも現れるし、どこにも定着しない。そんなふわふわ浮いた風船のような存在なんです」
とんとんとん、と手際よく調理が進められる。シェフの腕は確かだ。長く旅してきた僕も食べたことがないくらいに美味だった。
「このレストランの主は私――だと、思います。少なくともいまは店主です。いま、この瞬間は間違いなく」
少女シェフの横顔は、静かに笑んでいる。その微笑みが何か、幽霊のように意思の希薄な存在に思えた。
「目的は、ただ『美味しい料理を提供する』こと。それ以上でも以下でもありません。でも、より多くの人を楽しませるには、一箇所に留まるよりあちこちを放浪した方がいいでしょう? 場所を変え国を変え、時にはとんでもない辺境にも出現して、お客さんを楽しませる。このお店はそういう|現象《もの》なんです」
「……壊れた壁が、自動的に修復されたように思う。あれは?」
「荒んだ風景は、料理を美味しくなくしてしまう。目で楽しむ料理ってあるでしょう? 店内の内装も同じ。壊れてしまった風景が穏やかでないのなら――それがお客さんの満足を阻害するのなら、自動的に修復し、もとのカタチに戻す。そういった機能もこのレストランの一部です」
くらり、と目眩がした。僕も優斗もそういう予想はしたけれど――本当にそんな芸当が可能だなんて。
「そんな高度な魔法、聞いたこともない。それが出来るとしたら大規模な魔法結界を作成できるレベルの魔道士じゃないか」
「あら――私、自分のことを『魔法使い』だなんて言いましたか?」
「え……?」
魔法使いじゃ、ない?
じゃあ一体なんだっていうんだ。
そういえば――耳の長いシェフ。僕ははじめ、彼女をエルフなのだと理解したけれど――。
「…………」
断定できる要素は何もない。そもそもが異世界を繋ぐレストランだ。彼女がどこの世界の人か分からない以上、人種なんて断定できない。
例えば、そう――妖精のような不可思議な存在だったとしても、決しておかしくはないのだ。
「さて――」
調理が終わったのか、シェフがぴたりと手を止める。人差し指を立て、僕ににっこりと笑ってみせた。
「秘密のお話はここまでにしましょう? これ以上は、料理を楽しむことを阻害してしまうかも知れませんから」
皿を持ち、厨房を出ていく。すれ違いざま言ってきた。どこまでも穏やかな声で。
「でもひとつだけ理解してほしいんです。悪意はありません。裏の意図なんて何もない。だから、例え異界に繋がる危険があったとしても、レストランを壊したりはしないでください」
瞑目する横顔は、本当に清廉で潔白だ。
「砂漠を歩き続けたあとに、美味しい料理を食べることができれば幸せになるでしょう? とっても特別な人生の記念日に、大好きな人と特別なご馳走を食べると思い出に残るでしょう? それこそが願い。ただそれだけのささやかな祈りがこのレストランを構成しています。だからお願いです。害さないでください。ただ、|私たち《・・・》は――」
厨房を出る間際。
僕を振り返り、シェフは目を細め、教会で祈るように眩しそうな笑みを浮かべてみせた。
「――世界の壁を超えてでも、お客さんに料理を楽しんでほしい。飢えと乾きを癒してあげたい。ただそれだけを想っているんです。」
玲瓏の声で、彼女は――あるいは、|彼女たち《・・・・》は口にした。不思議ないくつもの気配が僕を包み込んでいた。
「待ってくれ。じゃあ、このレストランが繰り返しているのは――!」
「え――?」
疑問符を、浮かべた。
「繰り返し? なんのお話です?」
「は……?」
シェフは、本当に心底不思議そうな表情を浮かべている。繰り返しを、知らない? 彼女は『気付いていない側』だったのか。
「何か……私たちに、不手際がありましたか?」
その瞳が、意思のない人形のように透き通っている。――あるいは、このレストランそのものが僕に問うているのか。
何か、阻害するような事態が起きているのか、と。
対処すべき事象が起こっているのか、と。
いくつもの視線に問いかけられている気がした。
「……いや。なんでもない、僕の気のせいだ」
「そうですか。何かお困りでしたら、いつでもお声がけくださいね」
またにっこりと笑って、去っていく。
彼女は知らない。
つまり、このレストラン自体は、繰り返しに関与していないらしい。
「――じゃあ、どうして」
どうしてこのレストランは繰り返している?
何故、似たような出来事をなぞっては、また引き戻すのか。まるで分からない。そも、あの様子では、彼女にそんな意思はないはずだ。
「……飢えと乾きを癒してあげたい、か……」
「その思いが強すぎて、『呪い』に成っている、って可能性は?」
どこからか声を投げつけられる。壁にもたれ、いつからか優斗が僕を見ていた。
「優斗」
「飢えを癒やしたい、っていう思いはよく分かる。でも、それが行き過ぎて、飢えた人たちをこのレストランに何度も呼び戻している――って可能性はないかな」
「呼び戻している……繰り返しか。」
「そう。そういう『呪い』だってこと」
おかしなことを言う。そんなことあるもんか。
「馬鹿な。彼女にあるのは善意だけだ」
「善意が呪いにならないとは限らないんだけどね……まぁいいや。確かに、それはお客さんを楽しませるって目的に達していない。無理やり引き止めて繰り返してるんじゃ、ただの自己満足以外の何物でもないからね」
「ああ。なんとなく、それは違う気がするんだ。このレストランは、そんな邪悪なものじゃない。もっと、何かこう神聖で不可侵な……」
それ以上のことは、僕には分からないけれど。
あるいは僕とは違う、異世界の理屈でないと説明できないのかも知れない。
「どう思う優斗」
「ま。ヒントにはなったかな。結局何も解決はしてないけど」
「ああ。この繰り返しには、レストラン以外の何かが絡まっているっていうことだ」
「|絡まっている《・・・・・・》。ああ、その言い方いいね。なんかしっくり来るよ。俺の印象も今の所そんな感じなんだ」
よし、と優斗が気を取り直す。その瞳は少しだけ希望を見出しつつあるようだった。
「戻ろうリュート。店の方で何か、面白い催しが始まったみたいだし」
「催し?」
「よくわかんないんだけどさ。英雄譚ってやつ? リュートが好きそうな話だよ」
「へぇ……」
【旅の吟遊詩人が自分の世界の冒険譚を語り始める】
+
【味オンチな裸の王様が自称世界一の美食家と最高級ディナーを求めて来店】
謎の、小太りのおじさんと金持ちそうな青年のコンビだった。どちらも気難しそうな顔をしている。
「すまない、料理長を呼んでくれないか?」
「はい只今」
にこやかに接客。迷わずシェフを呼ぶことにする。
どうにも、彼らは最高級のディナーをご所望らしい。メニューにもないようなものを。早々に交代して正解だった。僕ではそこまで料理について詳しくは分からない。
「……やれやれ」
「変わったお客さんがいるもんだね」
小太りな方は何故か、上半身ハダカだった。少女シェフは気にした風もなく料理について話している。
「……ああ。確かに変わってる」
「お、またお客さんみたいだよリュート」
確かに、玄関を押しのけて誰か入ってきた。けれどすぐさま転んでしまう。まるで砂漠を四日間歩き続けてきたみたいに。大方、またどこかの辺境地に繋がったのだろう。
「お客さん、大丈夫ですかー」
駆け寄って声を掛けると、異変に気付く。恐怖に引きつった顔。隣には、ヌイグルミのような子羊が一匹。旅人のような格好だけれど、その肩から血が流れているのに気付いた。
「た、助け……狼が……っ!」
「お――狼?」
顔を上げると、開きっぱなしの玄関から何かが飛び出してきた。油断していた。僕は致命的に反応が遅れてしまったのだ。
「ぐ……ぅうう!?」
肩に、噛みつかれている。重々しい膂力で引きずり回される。狼? 狼だって? この、虎みたいなサイズの猛獣が!?
「! リュートっ!?」
優斗が気付き、青い顔をする。完全に力負けしている僕は、肩を噛まれたまま振り回され、為すすべもなく投げ捨てられた。
「っ!」
壁に、頭から激突する。かろうじて腕で庇っているものの、脳が揺れた。あちこち痺れて立ち上がれない。
「う……ぐ」
銀色の巨狼が、次々と玄関から飛び込んでくる。その数四体――ただし、そのどれもが虎のように大きい。凄まじい俊敏さで人々に襲いかかり、噛み付いて引きずり回す。一瞬にしてレストランは狂乱に包まれた。
「うわ、うわぁぁぁぁぁああああああ――ッ!?」
初めに逃げ込んできた青年も、巨狼に引きずられて玄関から連れ出されてしまった。まずい。
「…………!」
動けないでいる僕も、目をつけられる。巨狼が獣臭い息を吐きながら、真っ直ぐに僕だけを見定めた。必死で手をついて体を起こすが、いつの間にか流れ落ちていた血で滑ってうまく行かない。
巨狼は駆け出す。僕は――無防備なウェイター姿。剣もない。かろうじてポケットに仕舞ってあった鉛球を掴み取るけれど、間に合うはずもない。
「こ――のぉおおっ!」
ざくん! 鉄の音と共に、巨狼が悲鳴を上げる。横から駆け込んできた優斗が、木剣ではなく僕の剣で狼の首を斬りつけたのだった。
「下がれ! こいつ!」
ぶん、ぶんと振り回す。真剣の重さに慣れていないのか、木剣の時ほどうまくは扱えていない。それでも、深手を負っていた巨狼は悲鳴を上げて逃げ出す。
「大丈夫かい、リュート。まさか死んでないよね」
「あ……あぁ、すまない。助かったよ……」
朦朧とする意識を必死でつなぎとめ、なんとか立ち上がる。周囲は阿鼻叫喚。巨狼たちが食い散らかし、血の池が形成されようとしている。ギリ、と奥歯を噛んだ。
「……行こう、優斗」
「ああ」
虎のような巨狼が四体。凄まじい荒々しさ。僕と優斗だけでは厳しいかも知れない。僕は、鉛球を前に構えて魔法を発動する。
「侵食魔法――!」
「う、おぉぉおおお――ッ!」
優斗が駆ける。魔物たちが、手負いの僕に狙いを定める。僕は鉛玉を投げつけ、貼り付いた魔法の糸がピンと張り詰める。
炸裂。
同時に、僕は背後から襲いかかってきた狼に背中を裂かれながら地面に叩きつけられる。
「この……!」
抵抗するも、まるで腕力が違う。爪が突き立って血が噴出する。腹を噛まれて肋骨が折れる。必死で顔を殴りつけても止まらない。もはや魔法の発動もままならない。遠くで、優斗の木剣が無残に地に跳ねる。脚を噛み砕かれ、絶叫を上げながら僕は見た。
――――誰かが、杖をついて立ち上がる。
かつん、かつんと硬質な音が騒乱のレストランの只中で不思議と長く響いて聞こえる。
かつん、かつん。
まるでずっと砂漠を旅してきたようなボロボロの衣服。
ずっと席に座っていたはずの『その人物』が何故か、立ち上がって迷わず厨房に向かって行くのだ。
かつん、かつん。
弱々しく軋んでいまにも折れそうな杖。
周囲は大惨事――けれど、その男だけが何故だかまったく狼たちに襲われない。前を横を、人食い狼が無視するように通り過ぎていく。
――厨房へ行って、何をしようとしている?
分からない。目に血が入って、僕にはもう何も分からない。その男がちらりと僕を見た気もするけれど分からない。全身に力が入らない。首の後ろが裂けている。ただ、強靭な顎に無残に頚椎を噛み砕かれて、ごきん――
――ただひとつ、記憶に残る。
杖をついて歩く男。
砂漠を渡ったようなボロボロの格好。
その男は、無残に切り落とされたように|片脚《・・》だったのだ。
【腹ペコ狼に追いかけられた羊飼いが羊と一緒に店に乱入】
+
――また、砂漠を彷徨っている。
胃の中はカラ。底に熱した石を押し付けられているように、穴の空くような激痛に苛まれている。
砂漠は広い。見渡す限りの砂一色は、海のように自分の希望を飲み込んでいく。
きっと生き残れはしないだろう。片脚の自分は、この杖が折れてしまえばもう歩くこともままならない。杖を持つ腕は破裂しそうだ。遅い歩み。走ることも出来ず、延々とこの調子で砂の大地を歩き続けてどれくらいになるだろう。
……どれくらい? どれくらいとは何だ? 何日、何週間、何ヶ月何年。どんなに記憶を辿ろうとしても、何も思い出せない。ただただずっと歩き続けている。ずっとずっと、この砂の地獄を歩き続けている。
周囲には、砂を泳ぐワニがいる。ざらざらと砂を散らして泳いでいる。貪欲な渇望の具現。水、パン、草の根。なんでもいい。どんなに醜い虫でも構わないから食わせて欲しい。ただただ胃の底が痛い。苦痛で苦痛で逃げ出したくなる。でも何もない。絶望的に、この砂漠には何も存在しない。ただどこまでも砂があるだけだ。
杖が軋む。
失った脚が痛む。
もう無理だ。
いいかげん、休みたい。これが最後になってもいいから休みたい。
顔を上げれば、目の前に砂の丘が立ちふさがっていた。そうだ、あれを超えたら休もう。運が良ければ岩陰くらいはあるのかも知れない。あの丘を、越えたらーー
「………は?」
丘の頂上に立った途端、不思議なものを発見する。それは、異国の建造物だった。大きな窓。三角の屋根。シックなレンガ。こんな砂漠の真ん中に、不自然にぽつんと置き去りにされている。
看板には、「fumyu《フミュー》」と書かれていた。
まさか。
まさかまさか。
窓ガラスが反射していて中は見えないが、水がある? 人がいる? 杖をつきながらおぼつかない足で玄関に歩み寄り、取り憑かれたように手をかける
ひんやりとしたドアの感触。
倒れこむように開かれる。
涼やかな風が全身を撫でつけ、そして自分が見た光景はーーー
「――いらっしゃいませ!」
玄関マットに倒れ込む寸前で、杖を突いて踏み止まる。
おかっぱの、コック帽を被った少女が出迎えてくれた。信じられない。建物の中は本当にレストランだった。
――有り得ない。なんだ、ここは。
「お席へご案内しますね。暑いので、日陰の席の方がいいですよね」
そんなもの、どうだっていい。なんだっていい。水さえもらえるならもう何でもいい。薄汚れた自分はシェフの背中に続き、屍人のように遅い足取りで席についた。
――――そして与えられた料理は、想像を絶していた。
美味い。
美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い。
美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い――!!
ガツガツと、一心に喰らい続ける。
穴のあくほどだった胃が満たされていく。
脳が跳ねて天まで昇りそうになる。ものを食えるということが、これほどの多幸感を生むものなのか。
全身に、力が戻っていく。砂のワニの幻覚も薄らいでいく。
次々とシェフに料理を注文し、自分は浅ましい餓鬼畜生のようにそれを口にかきこみ続けた。
美味い。
どこまでも美味い。
甘く、辛く、酸っぱく、フルーティーで、塩味を利かせ、時に旨味を凝縮し、海鮮はぷりぷりと舌で踊り、野菜はその瑞々しさを自分に与える。水はレモンの風味がする。酒は酩酊を与え、肉は命を与えてくれた。
ああ――永遠に、食い続けたい。
この食の快楽を永遠に続けたい。
終わりたくない。
終わるなど許されない。
渇望の果てに、自分は穴の空いた袋のようにただ暴食という現象と化す。
ゆっくり食べてくださいね、とシェフが笑った。
あれは、女神か? どうしてこんな砂漠の真ん中にレストランがあるのかは不明だが――それも、食いながら観察し続けるうちに、あることに気が付いた。
ある時、窓を突き破って巨大なグリフォンが店に突っ込んできたのだ。
テーブルは壊れ、皿は割れ、大惨事となる。営業を続けることさえ困難かと思われたが――不思議なことに、目を離した隙にいつの間にか窓は修復されていたのだ。
それだけではない。
壊れた食器は元に戻る。床に落ちた食い物は静かに消滅する。
このレストランは、どうにも不思議な力を帯びているらしく、不都合な事象を修正する性質があるようなのだ。
強い強い、時間を捻じ曲げるほどの強い強制力を感じ取る。人智を超えた、不可思議な空間であるらしい。
――ならば、もし。
このレストランで人が死ぬようなことがあれば、一体どうなってしまうのか?
喰らいたい。
永遠に食の快楽を続けたい。
自分はただ、その一心だった。それ以外の感情が消滅するほどに、欲望に取り憑かれていた。
だから、人を殺してみることにも何の抵抗もなかった。
トイレで待ち構え、偶然通りかかった運の悪い男を絞め殺す。
ギリギリギリと締め上げる。人が死ねば、レストランは通常通り営業することなど決してできないだろう。ならばどうなる? どう、都合の悪い出来事が修正される? 相手が死ぬのを静かに見送り、そこで強い目眩に見舞われた。
――気が付けば。
「――いらっしゃいませ!」
玄関マットに倒れ込む寸前で、杖を突いて踏み止まる。
おかっぱの、コック帽を被った少女が出迎えてくれた。信じられない。
「お席へご案内しますね。暑いので、日陰の席の方がいいですよね」
この人智を超えたレストランは、自分の狙い通り、事象を巻き戻すという最高の手段でもって営業を続行してみせたのだ。
美味い。
美味い。
美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い。
ああ、永遠に食い続けたい。
ガツガツガツ、と口に放り込み続ける。それ以外に何も考えられない虫のように食い続ける。腹を、渇望を満たし続ける。
けれど喰らい尽くして終わってしまうことは不都合だから、いいタイミングで危機を呼び込む。
――砂のワニが、黒い瘴気を吹き上げながら静かに床下を這い、玄関を出て――――そうして、うまく悲劇を呼び込んでくる。
悲劇は、人が死ぬほど強力なものであるのが望ましい。
時に、オーガ共に人肉レストランの嘘を吹き込み。
時に、鉄の塊を惑わせてレストランの壁へと突っ込ませ。
時に、巨狼を操って羊飼いを追わせる。
理由や因果はどうだっていい。
ただ、レストラン内で人が死ねばいい。
そうすれば事象は巻き戻り、自分は再び、この魂を救済するような料理を永遠に食い続けることが出来る。
――さぁ、狼共を誘導する時刻だ。
殺せ。
また客たちを食い殺し尽くせ。そうすれば、また時は巻き戻り、すべてがやり直しになる。
…………?
なんだ、あの金髪のガキ。巨狼共が駆け込んでくる予定の玄関を、先に開けた。何故知っている? 剣を抜き放ち、銀色の球を前に構え、何かをしようとしている。
――不味い。あのガキ、余計なことを――!
レストランの外で、爆破音が鳴り響く。羊飼いは無傷で駆け込んでくる。惨劇がレストランに持ち込まれる前に、狼共を倒し尽くすつもりらしい。どうして知っている? 何故、その出来事を予測できる。意味がわからない。あの金髪のガキ――いま、こちらを、見た?
嫌な予感がする。早々に次の事件を起こさねばならない。
厨房へ行く。
杖を突きながら、騒乱に客たちが意識を奪われているうちに忍び込む。
次のメニューは毒殺だ。
食材――肉でも魚でもなんでもいい。毒を仕込んでおき、客に食わせてしまえばいい。
玄関口の出来事を察したシェフが、厨房から駆け出てくる。何があったかと聞かれ、狼が現れたと答えた。それきり疑いもせず駆けていく。これで、厨房には都合よく誰もいない。
まな板の上の包丁。作りかけの料理とは都合がいい。
懐から小瓶を取り出す。
蓋を開け、料理の上に、一滴二滴と垂らして――
「――――やあそこの真犯人さん。ねぇ、“呪い”って信じる?」
――背後から。
軽薄な、少年の声が聞こえた気がした。
+
【食材が急に毒を持つ】
「――――やあそこの真犯人さん。ねぇ、“呪い”って信じる?」
僕の隣に立つ優斗が、声を投げつける。
狙い通りだった。
優斗と相談したとおりに事態は進み、いま、僕たちの目の前には真犯人が立っている。
「………………」
男は、何も言わない。ただ背中を向けたまま、小瓶を手にして停止している。僕は剣を抜き放ち、問いかける。
「あなたが、この繰り返すレストランの真犯人か」
男は答えない。よほど衝撃を受けたのか、まだ停止している。
「――何故」
かん、と小瓶が床を跳ねる。杖を突き――男は、ようやく僕たちを振り返るのだった。
片脚の男。
折れそうな杖。
まるで何日も砂漠を歩き続けてきたような姿。
ガツガツガツ、と延々と料理を食い続けていた、その他大勢だと思っていた男。
「――何故、知っている」
全身包帯ぐるぐる巻きの、片脚の男が僕たちを睨みつけていた。
「何故も何も。こう何度も繰り返されれば、ネタだって割れちゃうっての」
皮肉そうに、優斗が肩を竦めた。僕は真っ直ぐに男を睨み据える。
「あなたは、知っていたんだ。このレストランが不可思議な性質を帯びていること。人が死ぬほどの出来事が起きれば、繰り返し現象が起こって無かったことにされること。――だから、不幸を振り撒いた。目的は知らないけれど――そういう、良くない事件を起こす呪いを撒いた」
「よっぽどこの店の料理が気に入ったの? 気持ちは分かるけど、悪用は良くないよね。食い過ぎだっての。あんた、何の恨みがあってこんなことしたんだ」
男は、答えない。ただ恨みがましそうに僕たちを睨み返している。
「ぎ――」
その全身から吹き出す、黒い瘴気。足元を這い回る何かの影。
「ギ、ギ、ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギィ――ッ!!」
金切り声を上げ、憎悪を剥き出しにしてくる。
もはや暴風と化し、叩きつけられる怨念の渦。大気を侵食し、僕たちを飲み込もうとしている。
「邪魔ヲ、――――する、ナ」
「! 下がれリュート!」
突如、僕の眼の前に壁が現れる。棘のようなものが並んでいる。
「…………は?」
それが、巨大な生物の口内だと気付いたのは、優斗に引きずられて後退し、ばくんと閉ざされるのを見届けた後だった。
「ワニ……だって?」
ぐるぐるぐると、包帯男の周囲の床を影が回る。時に床から身を乗り出すそれは、水辺のワニのようにしか見えない。数は三体。牛のように巨大な黒いワニが、床を泳いでいる。僕は剣を前に構えながら、重い声を吐き出した。
「……動物が嫌いになりそうだ」
「分かるよリュート。俺もう二度と狼見たくないもん」
優斗が拳を僕に向け、挑戦的にニヤリと笑った。
「――でも、リュートは戦うんだろ? 憧れの英雄に近づくために」
僕も笑みを浮かべる。心だけは、負けてはいけない。
「当然だ。この繰り返しを終わらせてみせる」
拳をぶつけ、僕たちは一斉に駆け出した。優斗は前に。僕は、左方に。
「!」
「う――おぉおおおおおおおぁあああッ!」
ワニを無視し、木剣を振り上げて包帯男に突進していく優斗。包帯男は片脚のため、機動力では圧倒的にこちらが優位だ。――だが、阻むように黒ワニの一体が床から飛び出し、優斗を丸ごと食い殺すほどにアギトを開く――!
「うぉっ!」
ガチン、鉄のような歯が打ち合わされる。残虐な断頭台。優斗は、すんでのところで転がり逃げている。
「危ないな……俺、びっくり能力持ってる以外は別に、超人とかじゃないんだけど」
軽口を叩きながら、木剣を前に突き出す。包帯男は無言で優斗を睨みつけている。
「優斗、何か能力を持っていたのか」
「そ。丑の刻参りを|なかったことにする《・・・・・・・・・》くらいで、普段は何の役にも立たないんだけどね」
ウシノコクマイリ? 異世界人の言葉は僕には分からない。そんなことより役割を果たそう。
「“侵食魔法”……ッ!」
銀色の球を前に突き出し、魔法式を展開していく。紫の毒々しい輝きがレストランを照らす。びきびきびき、と黒い稲妻に鉛が侵食されていく。臨界は近い。
「気になってたんだけど、その鉛球あといくつある?」
「五つだ。そうたくさんは持ち歩いていない」
いま、侵食を発動しているのは三つ。つまり、これを使い切れば残り二つで打ち止めとなる。
「ギ――ヒヒ、」
包帯男が、邪悪に笑む。
「暗いねぇ兄さん。もうちょっと優しく笑った方がいいよ、そんなだとモテないから」
優斗が皮肉を投げる。悪意を持って襲いかかってくる敵がいる以上、その顔にいつもの余裕はない。
「……飢えたコトが、アル、カ……?」
「なんだって?」
「胃に穴ガ開クホド、苦しんだことガ、アル、か……?」
優斗に向け、悪意の言葉をぶつける。ふぅ、と優斗は涼しげな息を吐いた。
「悪いけど。俺、そこまで貧しくないからさ。あんたの気持ちは分かってやれない」
ク、と笑みを深める包帯男。その足元のワニが一体しかいないことに気付いた。
「食ワレテ死、ネぇ!」
「優斗!」
「!?」
なりふり構わず、前方に転がり逃げる。すると、後頭部に触れそうな距離でガチンと音が鳴り、背後から僕を食い殺そうとしていたワニは砂を散らしてまた床の影に戻る。
「……つ」
優斗も、同じように背後から襲われたらしい。躱している。けれど、その左肩から血が滴り、苦しそうに押さえていた。
「優斗!」
「大丈夫、問題ないよ。ちょっとワニのフンになりかけただけだ」
ワニはまた、男の周囲をぐるぐる回る。男は杖をついて立ったまま、一歩もその場から動いてはいない。
「くそ……」
僕も優斗も剣士。だが、男のワニは中距離まで襲いくる。間合いの制圧を受けている。だが、僕にはこれがある。
「下がって!」
「! あいよっ!」
たんっ、と優斗が後退する。すれ違うように僕は、男目掛けて鉛玉を二つサイドスローで投げつける。
「!」
二連続爆破。大気が水に変わったような感触と共に、視界が明滅する。悲鳴を上げる客たち、一斉に砕け散る窓ガラス。爆煙は次第に晴れていく。
「な、なんで……!?」
だが、男は無傷でそこに立っている。何が起きた? ぐるぐる回る三匹のワニも変わらない。何か、反則じみた方法で防がれているらしい。
「くそ――っ!」
残りひとつを投げつけ、駆け出した。優斗と並走する。正面で赤紫の爆炎が弾け、黒色の稲妻をバチバチと散らす。飲み込まれる包帯男。だが、煙幕を抜けた先。
「!」
金属をぶつけ合う重い音色。優斗は木剣で包帯男の杖と打ち合い、僕は、ワニの牙と剣をぶつけ合っていた。振り回される鉄鞭のような尾を受け流しながら後退する。腕の骨が折れそうだった。
「つ……!」
ワニの一匹が、床から完全に這い出してくる。あまりの重量で床が大きく割れた。巨大ワニ。その爬虫類の奇怪な眼が僕を睨み据えている。
「……いいだろう、勝負といこう」
右手に剣を、左手に鉛球を。残りは二つ。岩のような黒い生物と向き合っている。
「侵食魔法――っ!」
僕の魔法発動と同時――ワニが、再び尾を振るう。大怪獣の一撃。僕はそれを、宙に舞うことで回避している。
「リュート!?」
空中にいる僕に狙いを定め、ワニが、蛇のように体をしならせて跳躍する。逃げ場は、ない?
――否。
「サヨナラだ」
僕は、天井を蹴って下向きに跳ぶ。同時、鉛球のひとつを置き去りにして。稲妻のような音がレストランを揺るがし、ワニの顔面に直撃して弾き飛ばす。
「――――……」
天井が割れ、破片が宙を舞う。仰け反ったワニの腹が見えている。みんな僕らの戦いを見守っている。僕は、テーブルに背中側から着地、後転して再度逃げながら、無防備なワニの腹目掛けて最後の一球をサイドスローで投擲する。
「終わりだ――ッ!」
絶好のタイミング。ワニは白目を剥いて失神している。鉛球はワニの腹に衝突し、跳ねる。もはや、躱すことなどできるはずがない。を持して、僕は、真っ直ぐ伸びた魔力の糸を引き抜いた!
「――――な、」
その、炸裂の瞬間。
信じられないことが起きる。
「ギ――ヒィイイ!」
包帯男が、顔を掻きむしって狂笑する。ワニの瞳が意思を取り戻し、何を血迷ったか、その口で炸裂の燐光を放つ鉛球を飲み込んだ!
「っ!」
炸裂の衝撃が、歯の隙間から漏れ出した。だがそれだけ。たったのそれだけで、ワニは、内から破裂することもなく僕に襲いかかってくる!
「この――っ!」
かろうじて剣で受け止め、地を跳ねながら後退する。ワニも、超重量で着地して、レストランのテーブルを跳ねさせた。
「……なんだ、いまのは」
「|喰われた《・・・・》んだ、リュート! そいつに爆破は通じない!」
馬鹿な。
僕の魔法を、侵食の魔法を丸ごと飲み込むなんて。
「ナンダって、食、う……!」
「――――――、」
その、包帯男のケモノのような目を見て冷めた。
「――ああ、そう」
何がおかしい。何を笑っている。爆破の衝撃を飲み込んで笑えるなんて、つくづく、どこまでも悪食だ。
「リュート!?」
たん、と僕は駆け出していた。真正面でワニが大きく口を開け、壁のように迫る。凄まじい圧力だった。恐怖で二度は死ねそうだ。だが、僕の脚は地を蹴って跳ぶ。
「――――」
空中で反転し、ワニの背中に剣を深く深く突き立てる。悪魔のような苦鳴を上げる。怪物にも、痛覚はあるらしい。背中に貼り付いた僕を振り回し暴れる。だが、決してこの剣を放しはしない。
もう鉛球はない。けれど、僕に出来ることはこれだけだ。
「――――“侵食魔法”!」
馬鹿のひとつ覚え。ワニが暴れ周り、破壊されるテーブルの破片で頭から血を流しながら、僕はただただ魔力を込め続けた。毒々しい光が網膜を焼く。黒く呪わしい稲妻が火花を上げ、びきびきと刻みつけるように岩肌のような背中を“侵食”していく。
「――腐り落ちろォ……!」
際限なく、魔力を込め続ける。魔法式は加速する。邪悪な稲妻が鞭のように殴りつけてレストランの壁を焦がす。怪物は苦しむ。のたうち回り、黒い血を嘔吐し、内から破壊される病魔の如き魔法に煩悶する。床に自身を幾度も叩きつけ、早く殺せとばかりに壁に頭をぶつける。
びきびきと岩肌に亀裂が走る。しかし遅い。本当に、どこまでも非効率で使えない魔法だ。
「ぐッ!」
そんなだからこうやって、最後は無様に振り払われ、床を転がるんだろう。狂ったワニが絶叫を上げ、襲いくる。もはや許さない、粉微塵になるまで噛み潰す。赤く血走った目は狂気に染まっていた。蛇のように大地を這い、矮小な僕に迫る。けれど、僕の手には、ワニから伸びた魔力の蜘蛛糸があった。
「――――終わりだ」
天から巨大な斧が落ちたように、極大の衝撃が大気を割り裂いていた。鼓膜が麻痺する。衝撃で僕の皮膚が裂ける。テーブルたちを紙くずのように吹き飛ばし、ワニは、侵食魔法の|大失敗《・・・》によって内から爆砕されていた。
怪物の黒血が、噴水のように周囲を染める。けれどそれは瞬く間に蒸発し、ずるり、と包帯男の足元に回帰するのだった。
「くそ……!」
不安定に、揺れる影。液状化しているのか、形を失い、いまにも崩れそうになる足元の影。その影に、男が、カツンと杖を突き立てた瞬間。
「――――――ッ!」
呪いの滝が噴出し、天井まで逆流する。怪物は吠える。死んだはずの三体目が、またワニの形を形成し、天井に貼り付いて僕を威嚇していた。その悪魔のような邪悪さに、僕は理解する。
「…………呪いだ」
「ああ、そうらしいね。あの不滅っぷりは呪いしか有り得ない」
包帯男の全身から滲み出す、黒い暗黒色の瘴気。あれは魔法ではない。あんな邪悪な魔法は存在しない。バリバリと大気を鳴らし、幻聴を振りまき囁いている。
(喰、喰、喰、喰喰喰喰喰喰喰喰喰――――!!!)
――人の怨念。深く深く、何かを憎み、痛みにまみれて絞り出された負の感情の雫。それは現実を歪ませるほどの幻想と成って、人に害意を振りまく。包帯男のローブが、死神のように膨れ上がる。腕の包帯が解け、現れた肌は暗黒色――命を感じさせない、あのワニと同列の歪な存在だった。
僕の足は、後退する。耳を突くノイズ。現実を歪めるほどの殺意の結晶に、異世界レストランまでもが侵食され、空間が暗く濁っていく。シェフが、ウェイトレスが苦しそうに胸を押さえて座り込む。
「ねぇリュート。アレ、人間だと思う?」
優斗は変わらない調子で言った。状況が分かっていないのかも知れない。
「冗談だろう。あんなの、人間なはずがない」
幻覚が見える。赤と緑で構成された映像が見える。呪いは、現実を歪め、訴えかけてくる。吹きすさぶ魔風。憎悪の波濤に当てられて、一気に精神が麻痺していく。
「濃い砂の匂いがする……暑いんだ。とても体の芯から熱くて、苦しくて、飢えていて、絶望している」
バチバチと、僕の魔力が暴走して火花を散らしている。こういう時、魔法使いは駄目だ。すぐに飲まれそうになる。
呪いが、僕の心に直接感情を訴えてきていた。
「胃の底が、穴が空いたように痛むんだ。飢えっていう感情を煮詰めて煮詰めて一滴ずつ瓶に貯めたような苦痛。破裂しそう。でも、それはきっと一人じゃないんだ――」
ワニが、泳ぐ。テーブルを噛み壊し、不味いと吐き出して窓ガラスを割る。
「あの包帯男は、そうやって砂漠で飢えて死んだ人たちの怨念の集まりなんだと思う。――駄目だ、勝てないよ優斗。僕たちは、もう……」
がしゃんがしゃんと牙を鳴らしている。
――――永遠に。
あのバケモノに食い散らかされ続けるしか、無い。
「そう……なるほどね。そういうことか」
優斗が、木剣を握って前に出る。優雅な足取り。目は真っ直ぐに、揺るぎない。にたり、と包帯男は嬉しそうに笑む。
「ま――待て、優斗! わからないのか! 不滅の怪物を倒すことなんて出来ない」
「…………え?」
「ましてや魔法も使えないキミが! そんな木剣だけで、あんなバケモノに勝てるものか!」
腕を掴んで呼び止める。穏やかに笑う優斗が、口にしたのは。
「――あのねぇ、リュート。俺はけっこううんざりしてるんだ」
「え……」
ナイフのような、言葉だった。
「シェフには悪いけど――俺、何度も同じ料理を食べれるほど寛容じゃないから。初めはどんなに美味しい料理だって、こう何度も何度も食べ続けてれば味が分からなくなる」
ゆっくりと、優斗の剣先が持ち上がっていく。
「何よりも――誰かを死なせて繰り返すなんて最悪だ。飢えて苦しいのは哀れだろう。ずっと砂漠を歩き続けて疲れ果てたんだろう。でもダメだ。それだけはダメなんだ」
この、呪いに侵食され暗く沈んだ暗黒色の異世界レストランで。
「アンタは呪った。罪もない人々を」
真っ直ぐに、死神と化した暴食者に突きつけながら。
「アンタは願った。誰かが不幸になることを。その呪いだけは正さなくちゃならない」
ばちり、とライターに火がつくように、剣先に光が灯る。まるで夜闇を切り裂くように。
「壊すことで、終わらせなくちゃならない」
「なんだ……優斗、何を――!?」
燃えている。
浄化するように勢いよく燃え上がる。
清涼な、けれど激しい風が吹き荒れ、レストラン全体が台風に見舞われたようになる。
強すぎる光に、目を開けていられない。
一振り、優斗が剣を振るった。
闇が切り裂かれ、呪いに染められた空間を塗りつぶすように、真昼の極光が剣から放たれていた。
白く白く、木剣の先で目映い炎が輝いている。
「苦しい時こそ忘れちゃいけないんだ。どんなに飢えたって、死ぬほど苦しくたって――――」
――――ゆらゆらと、
闇を切り裂くように光が揺れる。
「――――そんなの、他人を食い散らかしていい理由にはならないんだ。」
たん、と優斗は駆け出していた。まっすぐ、迷わずに。風のような疾走だが、答えるようにワニが一気に三体とも襲いくる。
「ダメだ、優斗――!」
奇跡のように、一体目を回避してみせる。でもダメだ、無理なんだ。
「呪いは――呪いだけは、倒せない!」
悪辣な呪いは、普通の魔法では解除できない。どこまでもどこまでも付き纏い、命を奪ってもまだ周囲を食らう。その貪欲さは、人の悪性であり、人の執念――いわば感情なのだ。人の悪意に、繊細な魔法という幻想は太刀打ちできない。
「!」
頬を裂かれながら、優斗が二体目の牙を回避する。
――魔法で呪いを消せない理由。決まっている。憎悪を抱いて死した者たち。彼らに救いなどあるはずがない。ただどこまでも深い、生者では及びもつかないような深い暗い暗い地獄がそこにある。
どんな魔法でも、人の絶望だけは変えることができない。
終わってしまった者たちの怨嗟を覆すことなど、出来るはずがないからだ。
「――――願望は暴食。ありとあらゆるものを奪い呑むもの」
優斗が何かを口にする。
……歪んだ願望を具現化する異常現象。
ただひとつ確かなのは、その呪いの正体が、飢え、乾き、満たされることのない渇望だった、ということ。
「――――――結果は強制輪廻。摩耗しても繰り返し、どこにも逃さない閉ざされた楽園」
ばきん、と何か、最後の縛鎖が断ち切れた音を聞く。枷が外れたように、優斗の木剣の光が手元まで激しく燃え上がる。
包帯男に手が届くまで、怪物ワニは残り一体。真正面に優斗とぶつかる。開かれた口。もう躱せない。逃げることもままならない。例え優斗がどんな魔法を使ったとしてもあの怪物はそれを暴食し、飲み込んで無効化するだろう。
包帯男が口元の包帯を引き千切り、ワニと同じ牙の口で歓喜に吠えた。
「――――――――“解呪・”」
優斗は何か、不思議な言葉を口にする。
まるですべてを翻すように。
禁忌の蓋に手を掛けるように。
有り得ない結末を提示するように。
起こり得ない、例外的な奇跡を紡ぎ出すかのように。
「“|迷い家《マヨイガ》の呪い”―――――――――――ッ!!!」
弾ける閃光が、網膜を焼いた。ビリビリと肌が震える。間近の雷鳴を伴って、何かが起こったようだった。
「ガ……ぁ!」
包帯男の杖が折れ、その胴に優斗の木剣がめり込んでいる。優斗の木剣で燃えていた光はもう無い。まるで、既に役割を果たしたかのように。
「殺、セ―――ぇ!」
男がワニに命じる。けれど何も答えない。何故だか、三体のワニは霧のように蒸発していくところだった。
もう笑ってなどいない。
優斗は、氷のように澄んだ目で、恐ろしい事実を口にした。
「悪いけど。アンタの呪い、もう――――|無い《・・》よ。」
霧散した呪い。
レストランの大気を侵食していた暗黒も瞬く間に溶け消え、シェフたちも苦痛が消えたのか立ち上がって見守っている。
包帯男は、血走った目で周囲を見回し、みるみる消えていく自分の両手を見下ろして嘆いた。
「そん、ナ……ハズ…………は…………ッ!」
「――言い忘れてたけど。俺、呪いを壊すことができるんだ」
包帯男の表情が凍りつく。がっくりと膝を落とし、バケモノを見る目で優斗を見上げた。
ぶん、と木剣を振り払う少年の背中。肩にかつぎ、こちらに変わらない調子で笑いかけてくる。
「俺の能力の発動条件は“呪いの看破”。だからリュートの協力がなければ無理だったんだ。ありがとう」
その軽い笑みに、僕は空恐ろしいものを感じていた。
「……呪いを、壊す、だって? そんなことが…………」
――呪いの正体を看破する、という条件。それさえ達成すれば、あらゆる呪いを破壊――減退でも移し替えでもなく、一方的に『破壊』してしまえるというのか。そんなの聞いたこともない。
「ま。誰にだってひとつくらいは取り柄があるものでしょ? 俺に言わせれば、リュートの爆弾魔もそう変わらないっての」
ワニたちは消えた。包帯男も黒煙を上げながら薄らいでいく。どうにも、この戦いは勝利に終わったようだ。
「…………すごいな」
優斗の一撃で、呪いを壊された怨霊は消えていく。本当に有り得ない。あれほど悪質な呪いを浄化するなんて、高位の神官でも易易とできないだろうに。
「何なんだろうな、キミは。もしかして異世界では英雄だったのかい?」
「まさか。ただのクラスの愚痴聞き役だっつーの」
本当に、異世界の住人というのは未知すぎる。まだまだ僕も旅が足りないらしい。
「クレ……」
「え?」
消え行く包帯男が、虚ろな言葉をつぶやく。何を言っているのだろう? 地面を見つめ、這いつくばって、砂を掻くように爪を立てている。
「…………恵んデ、ク……れ……」
飢えている。
今際の際まで、苦しんでいる。それを見て、包帯男の目の前におかっぱのシェフが立った。
「――シェフ。何を、」
「いいんです。構いません」
シェフは、料理の乗った皿を手にしていた。綺麗に盛り付けられた肉料理。
「私たちは……異世界レストラン|fumyu《フミュー》は、飢えた方を拒みません。どうぞ」
ことり、と丁寧に皿を置いた。折り目正しく、腰をかがめて料理を差し出したのだ。それを見て、包帯男が目を見開く。皿の上に置かれた、赤みの残る肉。香る香辛料。色とりどりの水々しい野菜と、命の雫を凝縮したようなソース。じっと睨みつけているかと思ったら、ぽたぽたと涙を溢れさせ、苦しそうに目を細めてシェフを見上げたのだ。
「――――女、神……よ……」
苦しそうに、カタカタと震える手をシェフに伸ばしながら、消えていった。ざらりと黒い砂のように崩れ落ちる。跡には、手をつけられずに残された料理だけがあった。
「どうか、安らかに……」
静かに微笑んで、シェフが散りゆく砂を見上げていた。それを見ながら優斗はぼんやりと口にする。
「…………救われたんだろうね。きっと、二度と手放したくないって思えるほどに」
あてどなく砂漠を歩き続けて。
何の希望も慈しみもない世界を孤独に渡る。
きっと自分はもう助からないだろう。
骨になり、この砂粒のひとつになって消える。
誰にも骨すら拾ってもらえないと思った時、僕だって、泣きそうになったものだ。
その果てに、この異世界レストランにたどり着く。
「……そうだね。きっと、救われたんだ」
穴の空いた天井の向こうに、青空が広がっている。広く、残酷なまでに青い青い雲ひとつ無い空が。
+
【旅の踊り子が娼婦と間違われて買われそうになる】
その後は何てことはない。包帯男が消えたいま、人が死んでしまうほどの事件が起こることもなく、異世界レストランは平和なディナータイムを過ごすのだった。
「…………あの。アタシ、娼婦じゃねーんだけど」
酔っぱらいに絡まれる女性一名、その女性に蹴り倒される酔っぱらい一名。ウェイター業務を終えた僕は、それを遠巻きに眺めながら優斗と笑うのみだ。
「しっかし、大変だったなぁ。まったく冗談じゃないってーの」
「本当に。これで、誰も繰り返しを覚えてないっていうんだから困ったものだよ」
危険なワニ使いを倒したということで、シェフがケーキを振る舞ってはくれたのだけど――呪いによって巻き戻されてしまう状況の解決。普通の冒険なら、冒険者ギルドに報奨金を請求しているところだ。
「それにしても、どこまでも不思議なレストランだよねぇ。見てほらあっちの人、真っ赤な髪に着物。あからさまに人間じゃないし」
「そうだね。あっちの髪の長い女性もなんか、只者じゃない雰囲気を醸し出してるし……」
異世界レストランは騒々しい。ディナータイムは更に人が入り混じり、人種も世界観も関係なしだ。
厨房にいるのは、おかっぱの美しい女性。清廉な空気を纏い、上品に笑うきれいなひとだった。
「ねぇリュート。あれ、シェフだよね? 数時間で背伸びてない?」
「もうやめよう優斗。このレストランに常識を求めるのは」
金髪青目の新人ウェイトレスさんは、昼と変わらず一生懸命働いている。やはり箱入りだったのか、不慣れそうではあるけれど評価は上々だ。
「さて――」
「ああ――」
そこからは、優斗と無駄話をする時間がやってくる。異世界人同士の僕たちは、互いの世界の信じられない常識や出来事について語り合うことができた。
優斗の友人の話――お金を引き寄せる呪いの持ち主。かなりの切れ者らしい。
僕の憧れる英雄の話――金長髪の騎士団長、ヴァイスさんの華麗な剣技について。
夜も更けてきた頃、僕たちはドアをくぐって退店のベルを鳴らす。色々あったからか、シェフやウェイトレスが勢揃いで僕たちを見送ってくれる。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
本当に、満足だ。
優斗と二人、肩を並べて店を出る。どこかの夜の街に出たようだ。
「ねぇリュート。英雄、なれるといいね」
「ああ、優斗も――」
横を見ると、静寂。いまいたはずの優斗はいない。
「え……」
振り返っても、ただ街角のストリートがあるだけ。忽然と。あのレストランは消え去っていたのだ。
「…………」
川べりの、美しいレンガの街だった。夜でもそれなりに人通りがあり、小洒落た酒場なんかが営業している。夜の静けさの真ん中に、僕は一人ぽつんと立たされていた。
「ああ…………そうか。」
これでお別れなんだろう。
少しさみしい。でも、旅に別れはつきものだ。不思議な少年。優斗なら、どこでだってうまくやっていけるだろう。
また会えると嬉しい。会えなくても無事を祈り合っている。こうやって、人と人との輪を繋ぎながら旅は続くのだ。
さぁ、どこかで鉛を仕入れないと。
それから、呪いを除去する聖水もほしくなった。
どの方角を目指そうか。
来た道も分からない。いまそこにあったはずの店が忽然と消えてしまったから。
何故、消えてしまったのかって?
それは、彼女らもまた、僕と同じように旅を続ける存在だから仕方ない。
あの時のシェフの言葉が蘇る。
『――世界の壁を超えてでも、お客さんに料理を楽しんでほしい。飢えと乾きを癒してあげたい。ただそれだけを想っているんです。』
――――聞くまでもなく。
きっと、レストランは次の異世界へと|飛び立って《・・・・・》いったのだろう。
【レストランが飛び立つ】
to be continued .....
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